“テレビ”の枠を越えてはいけなかった映画「任侠ヘルパー」





のっけから
暴言吐きます





西谷(この映画の監督)
○ねーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!






上映直後本気で怒り狂いました





映画・任侠ヘルパーは一昨年のSP版の際
映画になってもいい!

心から熱くなった
自分ドラマ史上でもかなり思い出深い作品
半券も絶対記念になるからと思って、ちゃんとポスター写真の入った公式(?)前売り券を銀座まで買いに行ったというのに(パンフレットは当然のこと)








クソ映画!!!
西谷、監督ヤメチマエ!!!!!!!!!









いろいろ言う前に、、、





この映画は、
ドラマ版とは脇キャストが“女組長・メイサ”以外関係ないので
独立した映画作品として一見さんも安心して観られるような作りになっていますが
クサナギが突然出くわす“介護”と“子ども”の裏側に“ドラマ版”からの感情の流れが少し垣間見え、深みが増すような構造なので
ドラマ未見者はその部分のとっかかりに少し唐突さを感じるかも知れません
ですが、その辺の唐突さも
テレビ版でお馴染みの冒頭クサナギの
“弱きを助け強きを挫く、俺はそんな本物の極道になりたかった−−”というモノローグでクサナギがどんな男なのかをちゃんと説明しているので、唐突感を少し和らげてるんじゃないかな
とも思います




もちろん、テレビから映画へのスケールアップ版なので
任侠ヘルパー
“任侠”部分は、クサナギの体を張ったリアルファイトが生々しく、テレビでは表現しきれない“痛々しさ”があるし
クサナギ演じる彦一の人間性を表す為か、
“キャバ嬢”をおもいっきりデフォルメし演じた新境地な夏帆とのテレビを少しはみ出るくらいのセクシー描写もあり
テレビ版よりも“任侠(極道)”から想像する男臭さ、汚さがより強く描かれています

もう一つ、“ヘルパー”部分は、認知症のおじいちゃん、おばあちゃんの不条理さがより強調されていたり、
施設の不衛生さのディテールがそのものずばり(う○こ)だったりと
“ヘルパー”から想像する“しんどさ”を、臭さ汚さを直接的にうつすことでリアル感たっぷりに描写しています



そして何よりも
テレビ版のメインライター古家和尚氏(キムタク「PRICELESS」やクサナギ「37歳で医者になった僕」等)が抜け、
池上純哉氏(裕二の「アンダルシア」等)が単独ライターになったことで
古家氏特有のテレビ的分かり易さや、コミカル、人情がほぼなし
池上氏特有の説明しすぎないという意味での分かり難さや、お年寄りであろうとも容赦しないハード描写が鮮明になり
より“大人”な任侠ヘルパーに仕上がっています



まあ、分かりやすい例えで言うなら
同・西谷監督のドラマ版「ガリレオ」でお馴染みだった福山の“一休さんポーズ”が、「容疑者X〜」ではなくなった
あの感じの本格風を漂わせています













本題ですが




僕が“映画・任侠ヘルパー”に求めたのは
あの名サントラ「ALL MY SOUL」を映画館の大音響で聴きたい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
それのみ






だって
任侠ヘルパーファンの僕にとって
クサナギ以外の脇キャストほぼ出演なし

物語の縦軸であった加藤清史郎くんとの疑似父子設定のその後も一切描かれない“映画版”へのストーリーは一切興味ないし



それに言ってしまえば
任侠映画というジャンル目的ならその“付け合わせ”とも思えるのかも知れないけど
どうして金を払ってまで
“介護社会の現実”
をわざわざ観に行かなければならないのか
何気なくテレビを付け、たまたまやっていたテレビドラマの中で、テレビ仕様にエンターテインメント加工された物語で、知らず知らずのうちに“介護”について考えさせられる
のと
そうとわかっていて、わざわざそれを知りにいくってのとじゃ
どうも気が乗らないじゃないですか




それに
これは僕の勝手な想像ですが
この「任侠ヘルパー」って、そもそも
“介護の現実を描きたい”って理由から始まったドラマじゃなく
異物を掛け合わせて化学反応を起こそうとした結果、奇跡が生まれた
“たまたま上手いこといった”ドラマだと思うので
そんなドラマに
“介護の現実を知って”
と突然言われたって
白々しいったらないわけですよ




つまり
僕は任侠ヘルパーって作品には
任侠映画としての欲求もないし
介護の現実を(この映画からは)勉強したいわけじゃない
何か考えたくって観たいんじゃなくって
任侠×ヘルパーだからこその“哀しみ”みたいなものを
“感じたい”わけですよ




その“感じる”ためのスイッチが
名曲「ALL MY SOUL」
なワケですよ




「踊る」のここぞという時に流れる「RHYTHM AND POLICE」と同じように
それまでの話がどうであれ、それっぽい時にただ音楽をかけるだけで、話の辻褄なんでどうでもよくって音楽の力だけで気持ちが“乗る”、そういう音楽ってあるじゃないですか
「ALL MY SOUL」はまさにそれなんです




だから今回も
クサナギ演じる彦一が“カチコムゼー!!!”って時に



大音響の「オーマイソーーーーー!!」が流れ



話とは無関係に感動の坩堝(るつぼ)



全身THXーーーーーーーーーーー!!!!!?(任侠ヘルパーがそうかは知らんけど)




となりたいわけですよ




いろんな邪魔が入る生活の中のテレビでも感動したサントラが
音響システムの整った映画館では、いわずもがな“家以上”の感動と迫力だからこそ
テレビ映画、観に来て良かったーーー!!
っと思えるワケじゃないですか
だから、お金払って観に行くワケじゃないですか
コンサートに行くような感覚なわけですよ





それが!
まさか!!
この!!!
クソ映画は!!!!
劇中!!!!!
一度たりとも!!!!!!
「ALL MY SOUL」が!!!!!!!!
流れない!!!!!!!!!!!!!
んですよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!





それも!!!!!!
意図的に!!!!!!



なぜなら!!!!!!!
「ALL MY SOUL」は!!!!!!!!!!
ラブサイケデリコさんの!!!!!!!!!!!
良さげなエンディングテーマの後ろに!!!!!!!!!!!!
コレで満足かといわんばかりに!!!!!!!!!!!!!!!!!
ワンコーラス流れるだけだから!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!





キーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!




ファッ○!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!







ファッ○!
とは
こういうときに使うんだね!!!!!!!!!!







西谷マヂで
ファッ○!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!






そう
あの西谷は
ガリレオの“一休さん”を“映画だから(そぐわない)”といってなくした
のと同じように
映画だからキャッチーな「ALL MY SOUL」は流さない
キャストもストーリーもテレビから引き継がないんだから
お決まりのサントラをかけず“テレビに絶対引き戻したくない”
そういうわけですよ





じゃあ、メイサも出すんじゃねぇボケゴラァ!!!
でしょ?






テレビファンを呼び込みたかったら
まずドラマ版のキャストを出し、ストーリーの繋がりも持たせる
ってのが当たり前の戦略だろう
でもそうはしなかった
なぜなら、西谷はこの「任侠ヘルパー」というソフトが映画単体でも通用する
そう思ったから
だからドラマキャストをなるべく排除し、ストーリーも独立させ、門戸を広げた
だけど、ドラマファンも納得するように
任侠ヘルパーの持ち味を映画仕様にスケールアップ&スキルアップしてみせた
それはわかるし
熱意もあって素晴らしいとも思う




だけど
僕は!!
納得はしても満足はしない
だって
いくら本格風吹かしたところで
ヘルパー部分のストーリーがファンタジーなんだもの
散々“そのものずばり(う○こ)”を見せつけ、リアル感を施し問題提議しようとも、解決策がああもファンタジーじゃ一切心に響かないし
その後の彦一の“カチコミ”も一切カタルシスを感じない
だからこそ
そこは良い意味で
“聴覚でごまかす!”
音楽で気持ちを乗せてくれればいいのに
頑なに“映画仕様”なもんだから
“寧ろそれ(オーマイソー)待ち”な僕にはホントに何にも乗れないんです





前半にも述べたとおり
ドラマ版脚本・古家氏のドラマ的分かり易さと、硬軟の“軟”の部分が
身につまされる思いの“介護の現実”をどれだけ受けとめやすくさせていたことか

改めて思いました
池上氏だけじゃ硬軟の“硬”ばかりで暗いし、話の流れも分かり難い

西谷もその傾向があるから
それと相まってつまらない!
古家氏戻ってきて!!!





つまり
なんやかや
任侠ヘルパーってのは
その冗談みたいなタイトルとは裏腹の
任侠とへルパー(介護問題)というシビアな題材を
テレビの枠の中にキャッチーなメロディと共におさまってたからこそ入ってきやすかったのに
映画仕様に任侠もヘルパー(介護問題)もスケールアップさせてはただただブルーになるだけ
ってこと



だ か ら こ そ

「ALL MY SOUL」
じゃろがい!!!



西谷は任侠ヘルパーファンならぬ
“オーマイソー”ファンをなんだと思って
最後に取って付けたようにワンコーラスだけ流したんでしょうか
“オーマイソー”ファンなめんなよ!!!!!
って
“オーマイソー”ファンてなんだよ、偉そうにって話ですが






っていうか
エンドロールの主題歌の後ろにお馴染みのサントラを流す洋画的手法って
劇中にも流して“お馴染み感”出すからこそ
エンドロールでの再登場に感動するワケじゃないですか
中流れてもいないのに、いきなり取って付けたように最後に付け加えられても、オーマイソー待ちの僕も、初見の人も意味不明でしょ?
その意図教えろ





とにもかくにも
任侠ヘルパーのオーマイソーを聴きたいが為のコンサート気分の僕みたいな超少数派には何一つ納得のいく映画ではありませんが
クサナギ演じる彦一のヤクザっぷりを堪能したい
夏帆の汚れ(末路)を見届けたい
そんな方にはなかなかの力作!
だと思います




あと
僕の望む、全身から哀しみがだだ漏れするりりィを求めている人にはがっかりです
ぶっきらぼうな方のりりィです
ご注意を