違和感 「家政婦のミタ」♯2


脚本・遊川和彦
演出・猪股隆一



ご主人様の言うことをわざとなのか敢えてなのか、オウム返ししてみたり
お手玉をやれと言われれば、お手玉するし
こらしめろと言えばこらしめ
殺せと言えば殺しかけ

菜々子は完全にロボットなわけで
そんなロボット菜々子を楽しむドラマだというはわかるのですが


♯1の時から猛烈に違和感を覚えた
「それは自分が決めることです」という
突き放した、、、というより
言えば何でもやってくれるはずなのに、その時ばかりは
考えを促す菜々子の台詞
はどうやら“決め台詞”のようで(女王の教室で言う“イメージできる?”のような)
それならそれで、そういうもんだと“それは”割り切れたけれども


殺せと命じて、殺しかけてやんやで
結局は子どもたちの力で何とか解決できましたとさってな場面での
菜々子の「わたくしは良くできたと思います」
ってのにやっぱり超違和感


しかも
その台詞は
言葉のキャッチボールの中での台詞ではなく
子どもが一人でやんや言ってたけど
菜々子が突然言いだした台詞だし



言えば→やる=ロボット(菜々子)
なわけで
言ってもいないのに言ったり
お願いしてるのに、やってくれなかったりするのは
菜々子のロボットがどこまでどんだけロボットなのか

まだ、その種明かしは先に待っているはずだけれど
筋が通ってないようで
納得いかないのです




「わたくしは良くできたと思います」
ってのが
ロボット菜々子が時折垣間見せる“人間らしさ”とするなら
それについての説明とか時間がもう少し必要だと(僕は)思うんですが(「女王の教室」の“冷酷さ”は最初から筋が通ってたと思うんだけど、、)



でも
そんな邪念を
“そんなもん!”
とねじ伏せるかのような
遊川先生の空気感

僕にはドSだと思うわけです





まあ
なんやかやで
楽しく見ているし
それが“人間らしさ”だとすれば
僕だってその辺“そうだよね☆”っつって観ようと思えば観れる男ですから
それはいいとしたって、、
だけれど


菜々子がご主人(次男)に命令され、悪ガキをボコボコにしていたけれど
そのボコボコにされた子の保護者からのアクションが一切無いってのは、あまりにファンタジーだと思うんですが、、、
それを菜々子流の解決してないようでしてる作戦(前回でのうるさいお隣に水かける!みたいな)で
丸く収めることに爽快感が生まれると思うのに
それって
置いておいていい問題だとは思わないのだけど
なぁ、、


でも
やっぱり
そんな邪念を
“気にすんな!”
とねじ伏せるかのような
遊川先生の空気感

、、、、、、、、、、、