もう一度君に、プロポーズ ♯3



もう自分でも
何が毒で
何が褒め言葉で
何がおべんちゃら
なのかよくわからなくなってきました
とにかく
こんなもん読んで気持ち晴れる!
なんてことは絶対ないので
覚えたてホヤホヤの
はてな記法“たたみ”テクを使って
たたみます!
(たたまれると、余計に気になるかとは思いますが
とにかくたたんでみたいので“たたみます”)










今回は恋愛ドラマ王道パターン
近づきつつあった2人の心が結局すれ違っちゃう
というヤキモキ




ものすごく丁寧と言えば丁寧なのかも知れないけれど
意外と大勢な脇達と主人公との“会話”だけで話を埋めるんじゃなくって
もうすこしそれぞれにエピソードが欲しいな
だからといって
山本裕典倉科カナの横槍エピには断固反対なんだけど、、


もうちょっと登場人物を絞ってそれぞれにエピソードを足して脇も盛り上げた方が
メインのエピソードがもっと引き立つと思うんだよね(「流れ星」みたいに)
主要2人の話だけじゃ流れがのんびり過ぎる気がするし
でも
丁寧じっくりなのに
いまいち主役2人に入り込めないのも事実


竹野内の心情はわかるにはわかるけど、記憶をなくても“やっぱり”好きだ!ってのの“やっぱり”部分にあんまり勢いを感じないんだよね
それは一話で早々に妻が記憶をなくして落ち込む気持ちから
いっきに“もう一度君に、”恋しよう!までもってったからだと思うんだけど(ホップ・ステップ・ジャンプの“ホップ・ステップ”に勢いを付けられなかった感じ?)
今回
妻がやってくれてたことを改めて気づくシーン(家賃や光熱費滞納問題とか、、これもイマドキ自動引き落としだろというツッコミは置いといて、、家事全般やれてない描写)からの
竹野内の哀しみ、、
だけどそれにはめげない
ひたむき、、を表現したんだろうけど
結局、間髪入れずに“ひたむき”だから表面的であっさりしてるんだよね、、、

和久井映見和久井映見で記憶がなくって大変なんだろうけど
昔の自分も記憶を失った今の自分も同じ自分なワケで

どんな事情があろうとも昔の自分に責任もって竹野内のこともうちょい見てやれよ!
と思っちゃう自分は想像力足りないのかな?

毎回のパターンと化している
奥さんが書いてた日記を(無断で)読んであの頃の妻の気持ちを思い知る、、
ってのが僕はなんだか卑怯な気がするんだよね
そりゃ、日記読めばわかるだろうよ、と(読んでも一回で読めよ、と)
和久井映見が竹野内と自分との関係に憤ってて、
変えなきゃって思ってた
ってことを日記読んで知って
そんなこと考えてたんだなっつって
これからはもっと妻のこと知らなきゃ

いちからやりなおさなきゃ
ってな話なのはわかるんだけど
妻が記憶なくして、日記読んだ段階でようやっと妻の思いに気づいた竹野内が
これからいちからやり直したってさ
またどうせ同じようにすれ違っちゃうんだろうよって思っちゃうんだよね

竹野内が和久井映見に対してドラマ画面上では超イイヤツな感じで描写されてるのに和久井映見はちっともなびかないのも良くわかないんだよね
そりゃ、いきなり知らんイケメンが毎日毎日家に来て“ひたむき”されたんじゃ自分の気持ちと追いつかないんだろうけどさ
もうちょい記憶=あたまじゃなくて、松田聖子ばりにビビビと来る(古ッ)モノあんじゃないかって
好きになるってのはその人のビジュアルや、そのときの雰囲気だけで形成されるもんじゃないとしても
“結婚”まで考えた相手を、記憶ないとはいえ、ああも拒否するのは、そもそもその“結婚”の段階から好きじゃなかったんじゃないかとすら思えてくるのは
僕が赤い糸的な“運命”みたいなものを信じすぎてるからかな?
だけど僕は恋愛ドラマには“運命”理論が必要だと思うので
記憶はないけど“昔の自分”は好きだった竹野内に対してもうちょっと和久井映見が自分自身と見つめ合う描写が欲しいと思うな


まあ
それが今回、和久井映見が“あなた(竹野内)を好きだった気持ちがわかる気がする”
ってなことなのか




っていうか
竹野内が好き嫌い以前に
記憶をなくした自分に対してまだうまく踏み出せてない自分
なのに
竹野内はそのへんすっ飛ばして“もう一度君に、プロポーズ”状態だから
すれ違ってんのか



っていうか
ちゃんとそういうの描かれてるのに難癖付けちゃうのは
やっぱり自分が思ってるテンポと違うからなんだな
応援応援とか言ってただただ文句ばっか言って
じゃあ観んなよ!
って空気にどんどんなってきてますが
これから自分の“難癖”がどうほどけていくのか
もしくは
もっとこねくりまわっちゃうのか
最後まで見届けさせてください、お願いします!!!!!